Ninin wankyu
安永三年(1774)五月 作曲:初代 錦屋金蔵
” 恋に焦るる身は浮舟の ─
寄る辺定めぬ世のうたかたや ”
歌詞
〈二上り〉
たどり行く 今は心も乱れ候
末の松山思ひの種よ あのや椀久は これさこれさ うちこんだ 兎角恋路の濡衣
〈三下り〉
干さぬ涙のしっぽりと 身に染々と可愛ゆさの それが嵩じた物狂ひ
とても濡れたるや 身なりやこそ 親の意見もわざくれと 兎角耳には入相の
鐘に合図の廓へ 行こやれ行こやれ さっさゆこやれ 昨日は今日の昔なり
坊様坊様 ちとたしなまんせ 墨の衣に身は染みもせで 恋に焦るる身は浮舟の
寄る辺定めぬ世のうたかたや 由縁法師の其一筋に 智恵も器量も皆淡雪と 消ゆるばかりの物思ひ
独り焦るる一人ごと 恋しき人に逢はせて見や 兎角心の遣瀬なき
身の果何と浅ましやと 暫しまどろむ手枕は 此頃見する現なり
[合方]
行く水に 映れば変る飛鳥川 流れの里に昨日まで はて 勿体つけたえ
誓文ほんに全盛も 我は廓を放し鳥 籠は恨めし 心くどくどあくせくと 恋しき人を松山に
やれ末かけて かいどりしゃんと しゃんしゃんともしほらしく 君が定紋 伊達羽織
男なりけり又女子なり 片袖主と眺めやる 思ひざしなら 武蔵野でなりと 何ぢゃ織部の薄杯を
よいさ しょうがえ 武蔵野でなりと 何ぢゃ織部の薄杯を よいさ しょうがえ
恋に弱身を見せまじと ぴんと拗ねては背向けて くねれる花と出て見れば 女心の強からで
跡より恋の せめ来れば 小袖にひたと抱き付 申し椀久さん (さってもてっきりお一人さま)
[鼓唄]
ふられず帰る仕合の 松にはあらぬ太夫が袖 月の漏るより闇がよい
いいや いやいや こちゃ闇よりも月がよい 御前もさうかと寄添へば 月がよいとの言草に
粋な心で腹が立つわいな (もうこれからがくぜつのだん)
仔細らしげに坐を打って 袖尺着尺衣紋坂 うひかうむりの投頭巾 語るも昔男山
[謡]
筒井筒 井筒にかけし麿がたけ 老いにけらしな 妹見ざる間にと 詠みて送りける程に
其時女も 比べこし 振分髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰かあぐべきと 互に詠みしゆゑなれば
筒井筒の女とも 聞えしは有常が 娘の古き名なるべし (ああ古い古い 女郎買もしほがからうなっ
た)
[太鼓唄]
お茶の口切 沸らす目元に取付けば (ああなんぞいな) 手持無沙汰に 拍子揃へて わざくれ
按摩けんぴき 按摩けんぴき さりとは引々ひねろ 自体某は東の生れ
お江戸町中見物様の 馴染情の御贔屓強く
按摩けんぴき 朝の六つから日の暮る迄 (さりとはさりとはかたじけない)
按摩冥利に叶うて嬉し 按摩けんぴき 按摩けんぴき
[合方] 廓の三浦女郎様 ちえこちえ 袖をそっそと引かば おお靡きやれ かんまへて よい よい女郎の顔をしやるな ちえこちえ 袖をそっそと引かば かんまへて よい よい女郎の顔をしやるな ちえこちえ 二人連立ち語ろもの 廓々は我家なれば 遣手禿を一所に連立ち 急ぐべし 遊び嬉しき馴染へ通ふ 恋に焦がれて ちゃちゃと ちゃちゃと ちゃっとゆこやれ 可愛がったり がられて見たり 無理な口舌も遊びの品よく 彼方へ云ひぬけ此方へ云ひぬけ 裾に縺れてじゃらくらじゃらくら じゃらくらじゃらくら 悪じゃれの 花も実もあるしこなしは 一重二重や三重の帯 蒲団の仲ぞ候かしく
解説
安永3年(1774)の錦屋金蔵という人の作曲によるもので、それよりちょうど100年ほど前に亡くなった、大阪に実在した豪商、椀屋久右衛門にまつわる歌舞伎舞踊曲の一つで、謡 曲からの模倣ともいわれています。古い曲ですが、内容はストーリーとしての一貫性がしっ かりあります。
椀久が、新町の傾城、松山と深くなり、豪遊が過ぎて座敷牢に監禁され、ついには発狂し、家出をしたというのが実話ですが、芝居では久兵衛と松山との二人踊りとなっています。
一人椀久というのも存在しますが、これは二人椀久よりも短い曲で、椀久が狂乱する一人踊りですが、年代、作者ともよくわかっていません。
「ちょいと坊様、慎みなさいな」というのは、椀久が薄い黒の羽織を着ていることから、坊様と呼んでいます。
「片袖主と眺めやる」とは、片袖を椀久と思って眺めるというもので、これはお能の技法を真似ています。
「思い差しなら」というのは、自分の思う人に盃をさすことでまた、「武蔵野」といっているのは、大変広い野原から、広くて大きいことの表現となり、ここでは「大きな杯」を指しています。
さらに「筒井筒」のところでは、謡がかりでお能の雰囲気を出しています。聴かせどころが満載で、それなりにかなりの技巧を要する作品といえましょう。
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