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供奴

Tomoyakko

文政十一年(1828)三月 作詞:二代目 瀬川如皐 作曲:四代目 杵屋三郎助(十代目六左衛門)


” ふくれた紺のだいなしは ─

 伊達に着なしたやっこらさ ”



歌詞

〈二上り〉

仕て来いな やっちゃ仕て来い今夜の御供 ちっと後れて出かけたが  足の早いに 我が折れ田圃は近道 見はぐるまいぞよ 合点だ 振って消しゃるな台提灯に 御定紋付でっかりと  ふくれた紺のだいなしは 伊達に着なしたやっこらさ 武家の気質や奉公根性 やれさていっかな出しゃしょない ひびやあかぎれかかとや脛に 富士の雪程あるとても 何時限らぬ お使ひは かかさぬ正直 正道者よ 

脇よれ 頼むぞ 脇よれと 急ぎ廓へ 一目散 息を切ってぞ駆け付ける おんらが旦那はな 廓一番隠れないない 丹前好み 華奢に召したる 腰巻羽織 きりりとしゃんと しゃんときりりと 高股立の袴つき 後に下郎がお草履取って それさ これさ 小気味よいよい六法振が 浪花師匠のその風俗に 似たか 似たぞ 似ましたり さてさてな 寛濶華麗な出で立ち おはもじながらさる方へ はの字となの字を謎かけて ほどかせたさの八重一重 解けてうれしき下ぶしに アアままよ 仇名がどう立たうと 人の噂も七十五日 てんとたまらぬ 露のけはひの初桜

〈本調子〉 見染め見染めて 目が覚めた 醒めた夕べの拳酒に ついついついついさされた杯は りうちえいぱまでんす くわいと云うて払った 貼った肩癖ちりちり身柱(ちりけ)亥の眼灸(やいと)がくっきりと ねぢ切からげた千鳥足 手ッ首掌しっかと握った 石突 こりゃこりゃこりゃこりゃ成駒 やっとこよんやさ 

[拍子合方]

〈二上り〉 面白や 浮かれ拍子に乗りが来て ひょっくり旦那に捨てられた うろたへ眼で提灯を つけたり消したり灯したり 揚屋が門(かど)を行き過ぎる


解説

これは、シーボルト事件が起きた文政11年(1828)に作られたもので、4世杵屋三郎助の作品です。まだ長唄は、歌舞伎音楽での伴奏としてのたち位置であり、舞踊曲の代表作品です。

踊りや長唄でもよく初心者向けの曲といわれますが、決してそうではなく、結構奥が深いといいますか、技巧を要するといわれ、特に踊りの場合、奴の足拍子が難しいことで有名な作品です。

ここに登場する奴ですが、奴には二種類あり、一つは歌舞伎でおなじみの助六のような伊達男、もう一つがここに登場する武家に奉公する身の奴で、身分は低いが大衆に人気がある存在です。廓に出かける主人のお供をする奴がメインテーマであり、そのドキュメントです。 「してこいな」で始まるこの曲ですが、「してこいな」とは、よしきた、さあこいという意味で景気をつけています。

曲の中に「拳酒」(けんざけ)といって拳の五本勝負で負けたほうが酒を飲む遊びのことが出てきます。何杯飲んだのかその数を数えます。「りうちぇいぱまでんす」という日本語の響きとかけ離れた文句が出てきますが、これは中国語の「りゅうちぃぱぁ」つまり六、七、八のことです。

首に貼った肩こりの膏薬が縮れたとか、腰にはお灸の跡が残っているとか言っています。肩癖(けんぴき)などお灸のツボの言葉です。 軽快な運びの中に何かユニークなものを感じる曲だといえましょう。


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