Tamagawa
明治四十一年(1908)九月 作詞:永井素岳 作曲:五代目 杵屋勘五郎
” 河原に雪の白々と ──
─ さらす乙女が拍子うた ”
歌詞
〈本調子〉
それ帝都二百余万の民草が 潤ふ水のみなもとは
遠く丹波の山澗に発り 青苔衣を負ひて 巌の肩にかかり 白雲帯に似て山の腰を繞る
昼も日原の影暗く 轟然として荒まじき
〈六下り〉
高く御獄の麓より 和泉中島流れて末は多摩川の 雨には異る渡り口
晴れて客呼ぶ鮎漁が 鵜縄のさばきおもしろや
〈本調子〉
昨日の袖も乾しやらで まだき濡れそふ朝露に 浪も光を打ち寄する
昔恋しき調布は 賤が手業に時ならぬ 河原に雪の白々と さらす乙女が拍子うた
〈二上り〉 六所祭はさまざまあれど わしが好いたは帷子市よ ずんどはじめは麻布織りて 国へみつぎの余りは 誰に たれに着しょとて糸紡ぐ ソレソレ晒せ晒せ 晒す細布さらさらさっと 晒す細布さらさらさっと つきぬ流れは多摩川の里
解説
この曲は明治41年(1906)という、かなり近年の作で、この年に東京の人口が217万人に達し大都市としての風格を備えてきた頃です。
唄い出しの「帝都200万の」はこれを表しています。多摩川はその上流が東京市民の水がめでもあり、古くからその関係は密接でした。
まず日原の鍾乳洞の風景ですが、このあたりから日原川と合流して多摩川となります。
青梅市の御嶽山の滔々たる水の流れ、さらに多摩川は今の狛江市の和泉地区を流れ、さらに、川崎市多摩区の中島という具合に途中の風景や風俗を順次紹介していきます。
現在の調布市の名前の起源は、この地域が古代から麻布が特産品であったことからで調布は「たつくり」つまり、布を作ることの意味で、古くから税金としこれを物納していたとわかります。
曲の中にも、税として納めた残りの麻布をだれにあげるかを話題にしています。 二上がりの「六所まつり」の部分は、府中の大國魂神社の祭礼で、俗にいう暗闇祭りのことで、この部分は芸者連のため高い音の構成となっています。 現在につながる多摩川の由来を知ることのできる曲といえます。
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